生物学好きのまいんが、シンガポールで生活する中で出会ったものをひたすら記録します。

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「シンガポールは中国語『も』学べます」、じゃなくて……

シンガポールの留学案内とか見ていると、

シンガポールでは英語が公用語なので英語の能力がアップする!

シンガポールでは中国語もやろうと思えば勉強できる!

シンガポール多民族国家なのでグローバルに活躍するのに役立つ!

みたいな謳い文句が見受けられます。

 

じゃあ実際に来てみてどうだったのか?というのを、今回は題材にしてみようかなと思います。

あくまで個人的な感覚なので、その点はご了承ください。

 

 

シンガポールは英語が公用語=生活のメインが英語、という意味ではなかった?

シンガポールに来て一番意外だったのが、「英語メインじゃないじゃん!」というところでした。

来る前は英語メイン、中国語もちょっとある……みたいな感じだと思ってたんですが、実際街中で聞こえてくる言葉や広告を見ている限り、中国語の方が多いくらいです。

英語は政府が指定した公用語であって、住民たちの本来の母国語は中国語というパターンが多いのではないかと勝手に思っています。それくらい中国語ばかり耳にも目にも入ります。人々の会話も中国語ばっかりです。

 

「とはいえ公用語は英語なんだから英語で生活できるでしょ?英語のスキルアップに役立つでしょ?」

いや、それも怪しいです。

一応英語が話せれば大体の場面では役に立ちますし、英語を聞き取る力がないとやれないことも沢山あります。

当たり前ですが日本語は通じないので、英語が強制されるというか、英語がないと生きれないorステップが進められない……という点では、英語力は嫌でも鍛えられるでしょう。

なんですが、じゃあ英語さえできればすべての場面で生き抜けるか、というとそうではなくて、

実は中国語「しか」通じない場面も結構あります。

例えばホーカーという地元の食堂みたいなところは、中国語しか通じない人がかなり沢山います。食事は日常的に必須なものなので、最低限の中国語のやり取りができないと困ってしまいます。

中国語が話せなかったせいでホーカーの人に怒られた、みたいなこともあるそうです。ヒエーという気持ちになってしまいますね。

 

ホーカー以外の場所でも飲食店系は案外中国語onlyな店員さんが多い印象です。高級店に行けばそんなことはなく、英語でも応対可能なのですが、安めのお店ではありがちです。

他にも服屋、美容院等など、割と日常的に使うようなお店が中国語onlyだったりするので、本当に中国語を多少話せる力がないとやっていけません。またはボディ・ランゲージで頑張り切るしかありません笑

あとは道を聞かれるのも大抵中国語ですね。自分の場合はシンガポールに来てから5回は道を聞かれましたが、すべて中国語でした。唐突な上に中国語なので、たまんないです。

 

そんなわけで、公用語が英語=英語メインではなく、

「英語も一応通じるところが多く英語があれば大体大丈夫だけれど、中国語がほぼ公用語状態で使われている」

というのがシンガポールの現状な気がします。

なので、「英語が勉強できる!頑張れば中国語も勉強できる!」という宣伝文句よりも、

「英語と中国語が話せないと生きるのに苦労する国ですよ!」の方が合っている気がしますね。

 

 

あとは、よく知られていることではありますがシンガポールの英語はちょっと独特で、本当に英語のスキルアップに役立つのか?と割と疑問に感じます。

シングリッシュといって、独特の文法や発音、訛りがあったりするのです。私の印象では、かなり中国語の影響がある英語です。リズムが不思議なのです。

また、街中で会話するときには多少文法ぐちゃぐちゃでも、なんなら単語だけでも、通じてしまってなんとかなってしまいます。発音も綺麗じゃなくても通じます。向こうの英語もこれでいいのか?って発音だし、お互い様感があります。

おそらくですが、多民族国家であるせいで余計に「英語っぽければ通じる」みたいな状態になっているんではないでしょうか。

そんなわけで、自分の英語は全然綺麗になりませんし、長い文章言わなくても通じちゃうので文章構成力もアップしていく様子がありません。

ただ生活するだけだとあんまり上達しそうにないので、もっと窮地に立たされてかつ長い文章のやりとり・細かい表現のやりとりが必要になるような場所に強制的に置かれるのが重要なのではないでしょうか。

 

 

多民族国家であるが故に「なんでもいい」「どうでもいい」になる

シンガポール多民族国家なのですが、日本人が想像する「多民族国家」とはどんなものでしょうか。

私は、「多民族が一国家に住んでいて、でも文化や言葉が違うから、きっと色んな場所に分かれて住んでいて、そうそう接触することはないのだろうな」と思っていました。

ところがどっこい、シンガポール多民族国家は完全に多民族が混じり合った状態になっています。街を歩けば、白い肌から黒い肌まで様々なカラーの人と次々すれ違いますし、服装もヒジャブであったり、サリー風であったり、短パンTシャツであったり、ワンピースであったり、ほぼ肌色であったり……本当に様々です。

当たり前のように多民族が同じ場所に共存して、隣合って一緒に生活をしています。食堂も当たり前のようにハラルとノンハラルで食器を返す場所が違いますし、スーパーでも食材を運ぶ器具がハラルとノンハラルで異なります。ショッピングモールではタイ、インド、中国、韓国、日本、オーストラリアなどなど、色んな国名を掲げたお店がずらりと、かつ堂々と並びます。勿論どのお店に入っても怒られることはありませんが。これが当たり前の風景なのです。誰も他民族が共存することを気にしていない。すごいことですよね。

さて、こんな多民族が日々ひしめき合う中に自分が置かれたらどうなるか。

「自分は多民族の内の一民族でしかないな」

「民族が違っても普通に一緒に生活する人でしかないし、一景色を構成するパーツでしかないな」

「皆好き勝手な格好して言葉を喋ってる。私もどういう格好しててもどういう言葉を喋ってもいいよね。誰も気にしてないし

という気持ちになるんですね。私だけの可能性はありますが。

日本にいる時は、どういう格好で外に出るべきか、とか色々気にしましたが、

こちらでは部屋着のような格好で外に出る人もかなり多いので、部屋着みたいな格好で外にも出るようになります。

一方サリーやヒジャブのような綺麗な格好も多いので、気が向くと綺麗なワンピースで歩きます。

食べるものも好き勝手決めますし、

入る店も好き勝手ずんずん入ります。

こんな風に、最低限互いの文化に対するマナーを守れば、どう生きたって良いみたいな気持ちになってきて、とても自由を感じられるようになるのです。

これは日本では感じられなかった感情で、私としては大変生きやすく、街中に楽しく出られるのです。人の目を気にしないで振る舞えるのは幸せです。

多文化に触れられることで、その文化の美しさや良さにも沢山気づけます。私はこっちに来て初めて「ヒジャブってかわいいな……綺麗だな……」と思うようになりました。今まではその良さをそこまで際立って感じなかったのですが、こちらでは大変魅力的に見えます。他の文化も勿論色々素晴らしい点があって、どの文化も美しく、良いなと思えるようになりました。これもまた、多文化が生き生きと息づくシンガポールだからこそ感じられる感情であって、日本では中々得難いものではないかと思います。皆が伸び伸び文化を発揮している点が、シンガポールの素晴らしいところなのです。

 

さて、こんな風に様々な民族の美しさ・文化・良さを享受するとともに、「どうでもいい」「なんでもいい」のマインドと人目からの自由が得られる点では大変素晴らしい多民族国家ですが、

果たしてこれはグローバルで活躍するのに役に立つマインドとして正解なのでしょうか……?

勿論こういうマインドがグローバルで活躍する際には必要であることは間違いないでしょう。「なんでもいい」のマインドは思いもよらなかった素晴らしい事業をグローバルに展開するのに役に立つかもしれませんし、現地の人とやり取りする際には必要なことかもしれません。

とはいえ、なんかかっこよくないというか。グローバル人材が持つべきマインドの正解って本当にこれでいいの?と不安になります。なんかもっと気高くていい感じのものだと思ってた。

てことで、シンガポールに来ても気高いマインドは得られないかも知れません。純粋な感動と、ある種の開放がここにはあります。

 

 

おまけ:シンガポールは「綺麗」で「安心」か?

ついでなので、シンガポールについてよく言われる「綺麗」「法が厳しい」「安心」などのイメージについても触れておきます。

 

まず、何よりも強く言えるのはかなり安心できる国だということです。治安はめちゃくちゃいいと思います。

普通に外出できて、普通に他人とお喋りできて(または話しかけられて)、普通に無警戒に生きていられる。シンガポールは人々もかなり優しく、かついい意味でゆるい気がします。

中国語がまともに喋れなくても、英語がまともに喋れなくても、雰囲気と優しさでコミュニケーションできる点はありがたいです。割とどんな場面でもそうです(VISAを取るためのICAという機関に行ったときですら、職員さんは優しかったです。勿論無表情にテキパキ無慈悲な人もいますが、優しい人の方が多い印象です)。

 

次、綺麗かどうかについてですが、比較的綺麗だとは思うけれど、思ったより綺麗でもないなというのが個人的な印象です。

上で私は「シンガポールの人は優しいしゆるい」みたいな話をしたんですが、たぶんもうちょっと的確に言うと何もかもが割と雑なんですよね。よく考えてみれば英語もそう、コミュニケーションもそう、お店の対応とかもそう、で、挙動もそう。

日本みたいに、テキパキ確実!じゃないんです。例えばお店ではお客さんがいなければスマホをいじり続け、お客さんが来てもスマホをいじり続けます。拭き掃除は座りながらやるし、注文は間違えられることもかなり多いです(○○入れて、と注文しても、入ってないことはめちゃくちゃよくあります)。

そんな感じの仕事への態度なので、掃除も割と雑めです。そして、案外ポイ捨てもされています。街中にはゴミ箱も沢山設置されていますし、たぶん意図的にポイ捨てはされていないと思うんですが、それでもなんかゴミがちらほら落ちています。

てことで、完璧綺麗、超クリーン、というよりは、人がちょっと気にして頑張ってる程度の小綺麗さというか。いい意味で生活しやすく、肌に馴染む綺麗さな気がします。

 

ここまで話してなんとなくわかってきたと思うんですが、とにかくシンガポールの人々は雑で、どうでもよい、なんでもいい、が前面に出た振る舞いをしがちです。本当に雑なんです。

どれくらい雑かというと、銀行の口座開設審査で必要な書類や許可不許可が担当する人によって変わったり、ICAの公式がHPで出してる書類の形式が古いverで持って行っても突き返されたり、行くたびに申請方法の案内が地味に変わったりするくらい雑です。やめてくれ~!

そんな雑ムーブばかりに触れていると段々、「こういうバラバラで他に無関心な人々を統率するためには強い法も必要になるよな……」と、強い法の縛りがなぜ発生するのかもなんとなくわかってきました。

なんなら強い法があっても割と飄々と生きているのがシンガポールの人々です。最低限守ればいいんでしょ、と雑に生きているのです。

政府は苦労してるんじゃないかな、とちょっと思ったりもします笑。

 

 

とはいえ、最低限を守りつつそれ以外は他人に迷惑をかけない程度雑であることは、悪いことなのでしょうか?

私はこっちに来て、改めて「日本人は勤勉だってそりゃ言われるよな」って思いました。

いつも何をする時でも人の目を気にして、外出一つするのにも服を選び……

仕事中は客がいようがいまいが一生懸命立ち続け、責任感から時間外労働し……

そういう日本人の文化のおかげでめちゃくちゃ良いサービスや良いクオリティのご飯etcが得られるのは大変ありがたいことです。ですが、

他人に迷惑をかけず、差し障りのない程度であれば、もっと責任や周囲の目から開放されたっていいんじゃないか、と

客の居ない店内で自分でマッサージチェアを使って遊んでる店員さんをこちらで見ながらちょっと思うようになりました。

 

 

そんなわけで、シンガポール、個人的にはとても素敵な国だと思っています。

日本人も一度来て、この雑で自由な空気に身を浸してみたらいいと思います。

ぜひぜひ、シンガポールにいつか来てみてください!